アルフレッド・ノーベルの遺言

楽blogの第1号のテーマはやはりこの人です。

意思能力を失ったにも関わらず、なお自分の意思を実現したストーリー。

毎年12月10日にノーベル賞の授賞式が行われます。今年は3名の日本人が物理学賞を受賞しましたので、授賞式に向けて国民の関心が高まっていくことでしょう。ノーベル賞がアルフレッド・ノーベルの遺言によって創設されたことを知っていますか?ノーベルの遺言から、死んで意思能力を失ってもその意思を実現する「遺言」の力の一端を見てみましょう。

AlfredNobel_adjusted

アルフレッド・ノーベル

アルフレッド・ノーベルが亡くなったのは1896年12月10日の朝、死因は脳溢血でした。生前の彼はニトログリセリン雷管ダイナマイトの発明者として超有名人かつ巨大コングロマリットのオーナー、大富豪でした。

ノーベルは、生前にノーベル賞の仕組みを準備していたわけではないのです。ノーベル賞の構想は彼の死後、その遺言によって初めて明らかになり、世界を驚かせました。

遺言は自分の死後に実現したいことを書き記すものです。言うまでもありませんが、死んでしまうと、自分でモノ・コトを選択すること、さらにはその選択した意思を表明することができなくなります。そこで、生前にその内容を決定し、文書で表明するのが遺言なのです。

しかし、遺言を書くだけでは充分ではありません。その遺言の実行を信頼のおける人に託すことが必要です。ノーベルの場合は秘書であったラグナル・ソールマンと友人のルドルフ・リエクヴィストの2名を遺言執行人に選定しました。遺言と遺言執行人の尽力の二つによってノーベル財団とノーベル賞の仕組みができあがったのです。第1回の授賞は1901年。死後5年を経過してノーベルの生前の意思が実現しました。そして、100年を超えて今に至るまで、ノーベル賞の授賞式は毎年ノーベルの命日にストックホルム(平和賞はオスロ)で開催されるのです。

 

ノーベルがノーベル賞を創設した意図は何だったのでしょうか?

1888年 兄のルードビィが亡くなります。新聞はノーベル自身が亡くなったと誤解して「死の商人亡くなる!」などと、ノーベルを中傷するような記事を掲載しました。というのも、彼が営んでいたのは爆薬の製造と販売です。鉱山や建設現場における平和的利用もあるものの、戦争で人殺しに使われるイメージが強かったのでしょう。世間の自分に向けられた視線に驚いた彼は死後に「死の商人」と言われることを阻止しなければならないと決意します。?そして、いよいよ自分の意思の実現に向けて動き出します。1889年3月3日ストックホルムの友人宛の手紙に当時の心境をこのように書き綴っています。

「遺書を書こうと思うのだが、誰か適当なスウェーデン人の弁護士に頼んで、私にふさわしい遺言状のサンプルをつくってくれないだろうか。最近ではめっきり白髪も増え、身体もすでに店ざらしの状態で、命のコイルを巻き戻す準備に取りかかっているようなありさまだから。こんなこと、もっと前に片付けておけばよかったけれど、忙しくて、とても手が着けられなかったので」(「アルフレッド・ノーベル伝」ケンネ・ファント著、服部まこと訳)

そして、ノーベル賞の構想を含む遺書を少なくとも2通残しています。1893年3月14日付のものと1895年11月27日付のもの。ノーベルは遺言の作成に7年近い歳月を要しました。後者がエンシンダ銀行に保管されたのが1896年の夏だと言います。その年の12月に亡くなったのですから、ぎりぎり間に合ったのです。彼の遺言がなければ、どうなっていたでしょうか。

 

日本語の「遺言」に英語では「Will」が対応します。そのニュアンスの違いは込められた力の差でしょうか。「Will」と言う語感からは、死んでも自分の意思を実現する、望みを達成する力を感じます。

アルフレッド・ノーベルはその遺言によって、自分の意思を後世に引き継ぎ、それによって永遠の生を勝ち得たと言えるのかもしれません。

齋藤真衡

 

(参考)

ノーベル財団HP

「アルフレッド・ノーベル伝」ケンネ・ファント著、服部まこと訳

「ノーベル賞」矢野 暢著