城山三郎「そうか、もう君はいないのか」

本書を読んで、勝手ながら、少なくとも妻には私よりも先に死んでもらいたくないと強く思った次第です。

「「シロヤマ?うちにはそんな人はいませんけど」と応えている声が聞こえた。・・・
「何か電報が来て、シロヤマサブロウって人がこの住所にいるはずだって言うんだけど、そんな人、聞いたことないわよねえ?」」

41X8lk8ojGL._SX349_BO1,204,203,200_夫である城山三郎に対する文学界新人賞受賞の電報を配達しに来た郵便局員に夫人が応対した際のエピソードです。
妻の容子は夫から夫のペンネームを聞いていなかったのです。

夫婦の年齢差は平均3歳、平均寿命の差は5歳ですから、大半の夫婦においては夫が先に亡くなることになるはずです。

城山(本名杉浦)家の場合はそれが逆でした。
妻の容子は68歳で亡くなります。肝臓がんでした。

 

 

本書は夫婦の出会いから始まります。
出会いは容子が高校生の頃

休館日ではないはずの休館日の図書館の門前で出会う二人「間違って、天から妖精が落ちてきた感じ」の出会い…
将来の作家とその妻が図書館で出会うのです。
なんと運命的な出会いなのか….

そうは言いながら、実はほとんどの出会いはたまたまです。
誰もが結果として運命的であったと言うのです。
それはともかくとして

「筆は一本、箸は二本」
容子はそんな城山三郎と結婚します。

「夫人」は「夫」の「人」です。
しかし、セカンドライフになってはじめて男は自分の弱さを知り、「対」(ペア)の意味と「対」(ペア)の強さを理解することになります。
それまで夫人はずっと待っているのです。

 

だから、
夫人が亡くなっても
「ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、
「そうか、もう君はいないのか」

となるのです。
城山三郎は正直に書いています。

私はそうなりたくない…
と思う勝手な男です。
でも、思うだけではいけません。

齋藤真衡

<Happy Ending カード No.I-3 >

城山三郎は妻の自分史をエッセイの形で書き留めていました。
それを遺族がこのような形で出版したのです。
それは城山三郎の自分史ではなく、妻の容子の自分史でもなく、家族と関係者の自分史でした。

「自分史」は自分だけの記録ではないのです。

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