「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」 井村和清

「ショーペンハウエルは、私たちはやや長い執行猶予を与えられた死刑囚のようなものだと書いています。その通りで、私たちはやがてひとり残らず死刑の執行を受ける。ひとりとしていつまでも永らえる人はいません。ですのに、この死刑囚たちは、まるで自分だけは刑の執行を免除されるかのように気楽で、自分の死について、ほとんど考えようとはしないのですから不思議です。」
医師である井村氏が30歳で右膝の線維肉腫と診断され、右足を大腿上部で切断しますが、腫瘍が肺に転移して32歳の1月に亡くなります。幼い長女と妻のお腹にいるまだ見ぬ子を残しての死を覚悟してつづった「ありがとう みなさん」という手記です。
簡単にお伝えできるような内容ではありません。一度お読みいただければと思います。彼が亡くなる直前に書いた詩「あたりまえ」を引用します。

 

あたりまえ

こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる

お母さんがいる

ありがとうみなさん

手が二本あって、足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いてゆける

手をのばせばなんでもとれる

音がきこえて声がでるこんなしあわせはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない

あたりまえだ、と笑ってすます

食事がたべられる

夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる

空気をむねいっぱいにすえる

笑える、泣ける、叫ぶこともできる

走りまわれる

みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ

なぜでしょう

あたりまえ

S54年1月1日
和清